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第一章:セクター29の発端

その弐

梟が啼く夜。
旧都・アキハバラ地区。
昔電気街やオタクの聖地として栄えたその地は寂れていた。
ヨツハシカメラやタナカ電機の本店は全て北東京学園都市《アカデ》に移転し、
メイドカフェら全てのブームは去り消滅していた。
そこに残されたのは昔からの電器店、
そして以上に発達したアングラネットワークである。
数多くの左翼組織が蠢くその地区は危険度ランクS、歌舞伎町を凌ぐランクである。
道路もろくに整備されず、表向きは人通りのない街。
地下鉄用の空洞が彼らの道だからだ。
その寂れた道を歩く少女が一人。
金髪のツインテール。白いワンピース。
かつかつと歩く姿はまるで女王の風格。
端末を片手に街を闊歩する彼女の名は何を隠そう、高槻五月である。
見上げるとスモッグで満たされた灰色の空。
月光は雲の切れ間を裂くように地上に降り注ぐ。

東京湾に建設された《インダストリセクション09》の重工業が出す煙が原因である。
空気より軽いため地上の住民は吸うことはないが、有毒であることに変りはない。
最近話題に上がる社会問題の一つ。
近代産業の輸出で大部分を補填する国だが、戦後の高度経済成長を築いた産業を政府は切ることが出来ない。
近代産業が殆どを機械で制御するため少しの労働力を必要としない一方、
従来産業は大量の労働力を必要とする。
その分雇用を確保し、無職、失業者やニートを減らす効果がある。
しかし現実は重工業に勤めることによって寿命が短くなることも証明されていた。
それでも収入を得るため、悪環境であることを承知の上で東京湾へ出る人々がいる。 だから切れない。
改善もされない。
それは収益が少ないせいもある。
需要がある一方、高い石油やその他の原料のコストがそれを上回るからだ。
石油メジャーが犇く中東からの輸入費。関税。
また、鉄が消えた現在主な原料となった新素材であるモノクロアクア(通称:黒銀)の価格の高騰。
全てが経営を悪化させる。
政府の補助金もあるが追い付かない。
結果、近代産業は潤沢である一方重工業でデフレスパイラルが起こるという現象が起こるのだ。

五月が予習したこの国の現象。
それを思い出しながら、秋葉原地区、通称セクション29を歩く。
時たま灰色の空を轟音を轟かせながらヘリコプターが空を裂く。
旧式よね、と五月は呟く。
「物知りだね。。」
後ろから声がする。

振り返るとサングラスをかけたヤンキーがフェンスに座っていた。
青いシャツ(第二ボタンまで開放)、黒い背広、そして目立つ長い白髪。
その青年はゴツゴツの指輪を両手につけていた。
「五月ちゃん?だよね。」男は云う。
「気配を消して後ろに立てなんて命令してないんだけど。」
五月が見下しながら云う。しかし彼女の背丈だと彼の靴しか見えない。
すると男は、大げさな素振りで礼をする。
「へいへい。『第六特務機関』所属、鬼藤佐助、参上いたしました、御嬢様。なんてな。」
かっかっかっと笑う男、鬼藤の足の爪先を五月は思いっきり踏みつけた。
「い、いってぇ!。」飛び上がる。目から涙が滲む。「貴方にそんな口をきいて良いなんて言ったかしら?。」
のたうち回る青年を見ながら五月は思う。
・・・・・・どうも小者、ぽいのよね。
「言ってたものは?。」片手を差し出す。「う。これだよな?ニキ・・・。」
「しっ。」
指を立てて制する五月の目は少しも笑っていない。
「Nについてよね?。」
「あ、ああ。」
携帯していた黒い小さなジェラルミンケースを取り出すと五月に差し出す。
「中にメモリーカードが入ってる。パスワードはKAG425DG.425A236DM51TG.AM4821だ。」
「KAG425DG.425A236DM51TG.AM4821・・・まためんどくさい配列よね。」
すらすらと鬼藤が暗唱したパスコードを記憶する五月。
・・・その記憶力には感嘆するよ。
そう鬼藤はもらす。
そうもらす彼だが彼も覚えていたことに違いはない。
しかし今時の人ならこの程度の羅列を覚えるのに苦はない筈だ。
それは人類最大の発明とされる《電脳》の賜物である。

21世紀の後半にドイツの科学者・ヱドワ・ヘッシェルによって発明された技術は学界を震撼させた。
彼は記憶媒体を直接脳に埋め込むことによって、記憶力を増長させることに成功したのだ。
その証明としてヘッシェル博士は円周率三兆桁という途方もない量の情報を記憶し、
実際に実験で覚えていることを証明した。
記憶方法は首筋にある接続端子とスパコンを繋いで彼の脳内の記憶媒体に直接入力。
その作業は一週間ほどかかったらしいが膨大な桁数が日時というハンデを補った。
一週間では到底覚えられない三兆というデータが証明するのである。
実験において学界の権威たちはランダムに桁数を指定し、その位の数字を質問したところ全問即答したという。
それは彼の勝利であった。

その出来事から約五年。
今や小学生でさえ小さい容量(数百テラバイト単位)の記憶媒体を持つほど普及している。
出生時に埋め込むケースもざらにある。
前世紀の携帯電話の普及より急激な速度である。
また普及した結果、学習が意味をなくすというある意味嘆かわしい時代になったが。
学校は他人と距離を置き、対等に付き合う方法を学ぶ場所という認識が一般的だ。
もはやコミュニケーション能力の育成にしか学校は役立たない。
記憶媒体の普及はIT国・日本の近代産業を助長した要因でもある。

因みに五月の記憶容量は鬼藤佐助のを遥かに上回る。

その分メンテナンスとベースか要求されるが。
先程のパスコードは記憶媒体が記憶するのを回避する仕組みが散りばめてある。
正しくいうならば彼らのように脳にプラグインがないならば、ただの言葉に聞こえるのだ。
壱と零に変換されない羅列。
通常の記憶媒体では記憶できない文字の組み合わせ。それを、《ミッシングコード》という。
組織からの伝言は全てMCなので情報が漏れることはない。

「Nの出生日時、場所は分かったの?。」五月は聞く。
しかし鬼藤からの返答はない。「・・・何も話せないのね。まぁ、いいわ。」
そう言ってジェラルミンケースをポーチに入れる。
「じゃあな。」
鬼藤は手を上げると言う。振り返った彼の背中は大きく見える。
・・・・・・まだ私は頼ってるのね。
すぐ逢うのに。そう呟くと目の前の地下鉄の駅前を見渡す。
そして暗い階段を降りてゆく。
入り口に架けられた看板には『シヱル』と洒落た文体で記してあった。
「地下に潜る先が『空』なんて素敵ね」
そう唄うように言うと、暗闇に消えていった。



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